紙一重
1997年11月17日
『哲学への回帰』という書物の中で、稲盛和夫氏が次のような話を紹介している。
ある弟子がお坊さんに「地獄と極楽の違い」を尋ねたら、「地獄も極楽も物理的条件は何も変わらない。住んでる人の心が違うだけだ」と答え、次のような例え話で説明してくれた。
「大きな釜の中に、うまいうどんが湯気をたてて煮えている。ところがそれを食べるには、一メ-トル程もある長い箸を使うしかない」
「地獄だったらどうなるか・・・餓鬼道に落ちた連中がわれ先にと争って食べようとする。しかし、箸が長すぎて、うどんを口に入れることができない。皆、自分が真っ先に食べようと、狂ったようになり、喧嘩を始め、しまいには、うどんはあちこちに飛び散ってしまい、誰も食べることはできない。そして、ますます殺気立つ」
ある弟子がお坊さんに「地獄と極楽の違い」を尋ねたら、「地獄も極楽も物理的条件は何も変わらない。住んでる人の心が違うだけだ」と答え、次のような例え話で説明してくれた。
「大きな釜の中に、うまいうどんが湯気をたてて煮えている。ところがそれを食べるには、一メ-トル程もある長い箸を使うしかない」
「地獄だったらどうなるか・・・餓鬼道に落ちた連中がわれ先にと争って食べようとする。しかし、箸が長すぎて、うどんを口に入れることができない。皆、自分が真っ先に食べようと、狂ったようになり、喧嘩を始め、しまいには、うどんはあちこちに飛び散ってしまい、誰も食べることはできない。そして、ますます殺気立つ」
「さて、これが極楽だったらどうなるか・・・
人々はうどんを長い箸でつまむと、釜の向こう側いる人に、『どうぞあなたがお先に食べて下さい』と食べさせてあげる。『こんなおいしいものを私が先にいただいて、誠に申し訳ない。あなたもどうぞ』と、相手も食べさせてくれる。お互いに譲り合いながらお互いに食べ合う」
「このように平穏で、心優しい人たちが住んでるところを極楽といい、『俺が、俺が』と自分のことしか考えないような人たちが住んでる場所を地獄というのだ」
この世でよくみかける光景ではあるまいか。ほんとに、地獄と極楽は紙一重である。
『相手を活してこそ、自分が活される。これが世の中』