有難い
2013年01月21日
私たち日本人は、日常的に「"有難い"!」とか「有難う!」という言葉を感謝やお礼の気持ちを込めて、よく使う。
ずいぶん以前になるが、その語源は「仏典」にあると聞かされて、「道理で"有難い"ご利益のある言葉だ」と感じ入ったものだ。
信仰心の希薄化がいわれている時代であるが、日常化した仏教用語の数々(方便、四苦八苦、不思議、有頂天、一大事、一蓮托生、億劫、我慢、世間、三昧、精進、迷惑、利益・・・・・等々)を調べると、日本人の心のなかに仏教文化の影響を感じざるを得ない。
さて、"有難い"に話を戻そう。
文字通り、「有ること」が「難い」ということ。つまり、存在することが難しいという意味である。滅多にない、もったいない縁で、生かされていることへの畏敬と感謝が湧き出てきての"有難い"である。
つねに"有難い"と感じることができる境遇に生きている人は、最高に幸せである。つまり、尊敬や感謝の気持ちを持って生きている人は、"有難い"という奇蹟と寄り添って生きているのであろう。
では、人間はどんなときに一番"有難い"という気持ちが起きるのであろう・・・。私にとっての一番"有難い"こと、それは人との"出逢い"である。
今までの多くの経験から、そう確信している。「私は運の強い人間だ!」と自分自身そう思っているが、なぜかというと、必要なときに必要な人と出逢わせてもらっているからだ。「出逢いは必然・・・!」という言葉があるが、ほんとうに出逢うべくして、出逢うから不思議である。
本来、"出逢い"とは、あまねく作用である。その後の関係性は、お互いの心次第というところがある。お互いに尊敬し、感謝し合う心があれば、"有難い"という関係性が生まれ、シナジーが生まれる。また逆に、"有難い"という気持ちがそうさせる。
こう考えると、日頃から、"有難い"状況にあるにもかかわらず、それに気づかないで自我に執着する生き方をして、自滅するようなことをしていないだろうか・・・。他人の悪口をいう、あるいは他人の悪口を聞いて優越感に浸るのは、その手の類であるから気をつけたほうがいい。
"有難い"をたくさん集める生き方をしたければ、他人を信じる根拠を自分のなかに築きあげる必要がある。人間は、想像し難い"計らい"のなかで生かされている。"有難い"と感謝して生き、仕事をしよう。