検証
2013年02月12日
作家・五木寛之さんの『下山の思想』(幻冬舎新書)を読んでいて、改めでハッとさせられ、得心した一節がある。
「登ることについては熱中できても、下ることにほとんど関心がない。それが私たちの普通の感覚である。しかし、私はこの下山こそが登山のもっとも大事な局面であると思われてならないのだ」という一節だ・・・・・。
私たち企業人は、経営の質を高めるために、『仮説(Plan)~実践(Do)~検証(See)』 の経営サイクルを大事にしている。
このサイクルを登山に例えると、『仮説』から『実践』のプロセスが『登る』という行為にあたり、『検証』が『下る』という行為ではないだろうか。
このように考えてみると、経営サイクルに関わっている私たちの意識の問題が浮き彫りにされてくる。つまり、『仮説~実践』には熱中できても、『検証』には無関心、つい疎かにしてしまう。しかし、この『検証』こそが、経営サイクルのもっとも大事な局面ではなかろうか。
私たちは、経営サイクルを確実に繰り返すことによって、自らの意思決定の必然性が高まっていくことを期待している。つまり、『仮説』が『真説』となり、勝利の方程式を手に入れたいと考えている。
しかし、現実、そうならず失敗を繰り返している人が多い。それは、何故か?その原因の一つに、『検証』の拙さがあるのではないだろうか・・・。
その要因として、次のようなことが考えられる。
1."検証"を軽んじる傾向があること。
2.仮説~実践のしわ寄せで時間の確保ができていないこと。
3."検証"可能な仕組みができていないこと。(実践過程での記録が要)
4.言い訳に終始し、真の原因を把握できないでいること。
5.決定的なのが思考力の拙さ(二者択一的で、多様性に対応できない)
以上のような理由から、"検証"が不十分なため、フィードバック機能が働かず、同次元での失敗を繰り返すような愚を行っている。
いま、私たちは一つの時代の山頂(成熟期)にある。一点に集中すればよかったのが、多様化した環境への適応が求められているのだ。まさに、"検証"が大切な時代へ突入したといえよう。
"検証"とは、原点に立ち返るという意味でもある。外へむけてきた意識を内へむけなおす行為でもある。つねに、自省の時間をもちたいと思う。