このページの先頭

トップページ > 考える言葉 > バックナンバー > 言い訳

考える言葉

言い訳

2013年02月18日

 広辞苑によると、"言い訳"は、『いい‐わけ(言分・言訳)①申しわけ。弁明。弁解。転じて、過ちを謝すること。②ことばの使いわけ。』とある。

 

 通常①で、失敗や後ろめたい行為に対しての申しわけで、そのことに対してやむ得ない事情があったという自己正当化するための説明であろう。②の「ことばの使いわけ」という表現は、何となく面白い。

 

 しかし、失敗や後ろめたさが先にあるので、「言い訳をするわけではありませんが・・・」「言い訳がましいようですが・・・」「言い訳と取られても構いませんが・・・」などと、"言い訳"に対して、私たちはどちらかというとネガティブな感じを持っている。

 

 確かに、仕事の上の"言い訳"は、失敗のときによく聞かされる。だが、目標管理をやっていると、検証後の発表に、"言い訳"が行列をなすことが多い。

 

 予実に差異が生じる。検証とは本来、その差異の原因を究明して、次の思考と行動にフィードバックするために必要なのであるが、予定通りできなかったことへの"言い訳"に終始してしまうのである。

 

 なぜ、予定通りに事を運ぶことができなかったのか?その真の原因を明らかにする前に、"言い訳"が先に走ってしまう。

 

 "言い訳"の材料になりやすいもの・・・時間や環境、そして上司、顧客等々。①日常業務に忙殺されて、時間がなかった。②職場の環境条件が良くない。③上司や顧客の都合で変更を余儀なくされた・・・・・。もう、言い出したらキリがない。あたかも、自分にとって不可抗力であったように聞こえてくるのだ。

 

 私は、"言い訳"を無用だとは思わない。"言い訳"は、確かにネガティブな感情はあるが、自分のなすべきことに対して無関心や無気力ではない。少なくとも、エネルギーは出ている。

 

 要するに、エネルギーの使い方にさえ気がつけば、ポジティブな方向へ転換できる。
問題は、"言い訳"後の思考と行動の変化であろう。
 1."言い訳"で終わってしまう人
 2."言い訳"を次の行動に活かす人
もちろん、後者でありたい。

 

 "言い訳"は、「ことばの使い分け」だという。とっさにやってしまった"言い訳"の背景にある、真の原因(=問題)に、本人は気づいているはずだ。それから目を逸らさなければ、なすべきことは自明である。

 

 要は、"言い訳"を"言い訳"で終わらせない、真摯さが大切だと考える。

このページの先頭へ戻る