素直さ
2014年08月04日
生前に可愛がってもらっていた叔父の三十三回忌法要が、お寺で催され、久し振りに住職のお話を聴かせて頂いた。
「法要とは、故人の冥福を祈ることであり、無事に修行を終えて成仏することを祈ることです」
「合掌(手を合わせる)とは、右手は仏の象徴(清らかなものや智慧)で、左手は衆生(自分自身のことで、不浄さを持っているが行動力の象徴)を表しており、仏と一つになることを意味するのです」
また、相手に対して合掌する行為は、その人への尊敬の念を表現することだという。何となく理解していることでも、住職から改めて講話を頂くと、その行為の重要性と効果がヒシヒシと伝わってきて、腑に落ちてくる。
腑に落ちる・・・。まさに、"素直さ"が心のなかに充満する瞬間である・・・・・。
「仕事の日常性のなかに、もっと合掌すべき状況があったのではないか?」
「それができていれば、事態はどう動いたのだろうか?」
「恐らく、もっとお互いに感謝あふれる関係ができていたのではないだろうか?」
合掌とは、"素直さ"の象徴であり、感謝をもって生きることの重要性を気づかせてくれる行為なのだ。
松下幸之助は、その著書『素直な心になるために』のなかで、「素直な心とは真理に通ずる心」だと述べ、"素直さ"には様々な効用があると示唆している。
① なすべきことをなす
なすべきことに気づき、なすべきことは私心を離れ、命がけで行うという。
② 思い通りになる
人は誰でも自分の思い通りに他人や物を動かしたいと思う。そこでお互い相手と争い、自ら思い悩む。素直になれば、すべてに順応でき、思い通りになるという。
③ こだわらない
"素直さ"とは、私心なく真理に従うという態度であるから、そこに一つの大きな安心感が生まれる。細かいことにくよくよせず、前向きに考えて、生きられるようになる。
④ 日に新たに
現状にとらわれずに、日に新しいものをつくりだしていけるようになる。
⑤ おだやかな心
いらざる対立がなくなり、お互いにおだやかな心でいれるようになる。
もっと効用があると思うが、改めて"素直さ"の有難さを考えさせられた一日である。