習慣
2014年08月18日
新しいことへチャレンジしようとするとき、必ずといってよいほど感じる壁がある。それは、日々の思考や行動の結果、良くも悪くも、身につけてしまっている"習慣"の壁である。
齢をとってくると、身につけた"習慣"をこわすのはそうとう難しいようだ。年老いた親を気遣って、老後施設や病院などをすすめると必ずといってよいほど、抵抗をしめすという。夏の暑い間だけでも、冷房が効いて、三食付、しかも看護師さんの目も行き届いて安心だと思って勧めても、頑としてきかない。"習慣"が崩れることへの不安のほうが、ずっと大きいらしい。(まだ、小生は環境の変化にはついていけそうだが・・・)
東京へ今までよりもさらに頻繁に行きだして、最近いっそう強く感じるは時間に対する感覚だ。さすがに都会だけあって、時間のテンポがはやい。もちろん、ついていけないテンポではないが、地方のように止まって感じる時間帯がないのである。
もう一つ、東京では、昼飯時に繁盛店で行列ができる・・・。つまり、並んで待つという"習慣"がある。あれも、地方の人間には理解できない。何で、せっかちな人が多いのに並ぶのか?これは時間とは関係がない、別の"習慣"なんだろう。
話が少しそれたが、東京を拠点として仕事を展開していくには、"習慣"の壁を壊す必要がありそうだ。特に、時間の使い方の"習慣"は、かなり意識してやらないと時間がいくらあっても足りそうもない。この2~3ヶ月間感じていた一日の短さは、東京生活のせいだったのかも知れない。
今、東京にいるときの時間の過ごし方を思い浮かべていて、気づいたことが一つある。折角だからと、あれもこれもと欲張って、アポを入れすぎて一日一日が過密スケジュールになっているようだ。午前、午後そして夜の時間まで予定が入っており、自由にできる、まとまった時間帯が全くないことに気づかされた。
もし仮に、これが東京でのビジネス・パターンだとすれば、かなり意識して時間管理をしておかないと、自由裁量のまとまった時間など、とうてい望めるはずがないのである。
ドラッカーは「時間こそ真に普遍的な制約条件である」と述べ、成果を出す"習慣"の第一番目に時間管理の重要性をあげている・・・然り。長崎では、十分に機能していた時間管理の手法が、東京では機能していない・・・。
東京での時間を非日常性と考え、例外処理をしていたのかもしれない。地に着いていないのかも・・・。
いずれにしても、変化はブレークスルーのチャンスである。検証の余地あり!