杞憂
2016年03月28日
"杞憂"とは、無用の心配をすること。取り越し苦労。中国の古典(列子)に由来する諺で、「杞の国に、天が崩れ落ちたらどうしたらいいか心配して、寝ることも食べることもできない人」がいたという・・・。
「現代人は、ストレス社会の中で生きている」とよく言われる。ストレスとは、外部環境からの様々な刺激(ストレッサー)によって自分の身体や心に負荷がかかり、「歪み」が生じることをいうのであるが、そんな中、"杞憂"に陥っている人が意外と多いのではなかろうか。
"杞憂"の原因は、不安(=anxiety)、つまり、心配や恐れの感情である。では、人はどんなときに不安に陥るのだろうか?考えるに、人は自分でコントロールできないものに対して、不安を感じているのである。
さすがに現代人には、杞人のように「天が崩れたら」という不安を抱える人はいないと思うが、複雑化した環境とその変化の激しさなどに翻弄され、コントロール不能な状況に置かれ、"杞憂"状態の人がいるようだ。
では、現代人が抱える"杞憂"の対象とは何だろうか・・・?多くは、次の二つから生じているのではないだろうか。
一つは、人間関係。ストレスの第一原因に、人間関係を挙げる人が多いという。特に、職場におけるネガティブな上司との問題、思いやりのない職場環境など。また、家庭においても夫婦や親子の会話ができないという問題もあるようだ。
もう一つは、未来。過去の延長線上に未来が描けない時代である。過去の成功体験がすべて否定されてしまうような変化が起きている。不確実な未来は、どう動いていくのであろうか・・・(予測不能)。
いずれも、本質は、思い通りにならないことに対する心の在り様である。不確実性が高く、コントロールできにくいもの、つまり、コントロールできない度合いが強ければ強いほど、不安は大きくなり、"杞憂"の原因となっていくのである。
要するに、コントロールできないことをコントロールしようとして「歪み」を自らつくっている。だとすれば、自らがコントロール可能なことへ専念したほうが理に適っている。それは、何か?自分自身である。つまり、自分自身をどう変えることが"杞憂"から解放されるのか・・・。「レジリエンス」という言葉が注目されている。復元力、回復力、弾力、強靭さという意味であるが、環境への適応性だろう。
思いやりと感謝の心を持って、「仮説~実践~検証」の自己革新プログラムを主体的にやり続けること、それが"杞憂"から解放される最良の手段であると考える。