良馬
2023年03月06日
「良馬はうしろの草を喰わず」という中国の諺がある。
「よい馬は、わざわざあともどりして、自分の足で踏んでしまった草は、けっして食べようとはしない。目の前にある新鮮な草を食べるために進んでいく」。
つまり、過去にこだわっていたのでは、いつまでも前進できない。過去は過去、反省の材料にするのはよいが、あとはあっさり思い切って、未来に向かって努力していかなければならないという意味である。
過去を振り返ってみると、「人生あきらめが肝心だ」と諭されたこともあったが、逆に「何事もあきらめてはいけない。道は開ける」と激励されたこともあった。どちらが真実なのかというと、どちらも正しかったように思う。
「あきらめが肝心」というのは、「物事に執着しすぎるな」という戒めであり、「あきらめてはいけない」というのは、「物事を途中でほっぽり出すな」という戒めなのだ。
過ぎ去ったことは、くよくよ思い煩っても仕方がない。きっぱりとあきらめてしまう態度が人生には必要であろう。
だが、少しの反省もなく、その原因を何も考えずにあきらめるのはどうだろうか。あきらめも肝心だが、過去を振り返る余裕も欲しいところである。
やはり、何事もそうであるが、その時々の臨機応変の対応こそが求められるのであろう。
助言する人も、その当たりの状況判断をちゃんとなすべきだと思うが、もっと肝心なのは自分自身の決断である。
中国の諺には、「千里の馬と伯楽」「塞翁が馬」など"良馬"に関わる話が出てくることが多い。古代中国のときから、人間と馬の関わりが歴史の一端を担っていたのだろう思う。
さて、"良馬"に話を戻そう。
「良馬はうしろの草を喰わず」という中国の諺に気を惹かれたのかというと、未来に向かって努力をしていかなければならないのに、それを怠ったとき、今までおこなってきた過去の努力(成果)で自己正当化してはならないと思っているからだ。
たとえ、過去に優れた努力をやってきたとしても、それを未来に向かってしなければならない努力と相殺勘定にしてはならないと思うからだ。
掲げる経営理念は永遠のものであり、達成すべきビジョンはその先にあるビジョンを達成するために描かれなければならないのである。
IG式目標管理は、"良馬"として生きるためのシステムである。
"考える言葉"シリーズ(23‐09)