捨欲
2024年11月06日
人間には、様々な欲がある。食欲、色欲、金欲、権力欲、名声欲、出世欲・・・人間は欲の塊であるともいえる。
今もないわけではないが、若かりし頃、際限もない欲望に心が振り回されて、心穏やかではない日々があった。どうすれば、欲にかられた煩悩から抜けられるのか、宗教や哲学の本を読み漁ったことがあった。
どの本読んでもその瞬間には、「なるほど!」と悟った気分になれるのだが、少しすると、新たな欲に取りつかれ、心が騒めく。捨てがたき煩悩のなせる業である。
最近、書棚の整理をしているのだが、その時に目についた書物を読み直す機会が増えている。
前々回で紹介した『中村天風 銀の言葉』(岬龍太郎 著)もその一つだ。その中に、次のような言葉が紹介してあったので、改めて紹介したい。
『欲は捨てるな、欲を持て!"捨欲"などできないことで悩むな。欲望がなくて、何の人生ぞ。ただし「楽し意欲を持て!」』
"捨欲"とは、仏教用語である。煩悩の根源となっている「欲」を捨てるという意味である。天風先生は「はたして人間は欲を本当に捨てられるのか?」と、この教えに疑問を投げかけている。
そして、「できないことを、そもそもできるように説くのが詐欺だ」ともいう。そして、「釈迦もキリストもマホメットも、偽りを言っている」と手厳しい。
それに、彼らが何年もかけて修行を積んだのも、みんな悟りたい、生きる辛さから救われたいと思う「欲」があったればこそではないか、と。
「強い心を持ちたい、積極的な人生を歩みたいと思うから、それに近づく努力をするのだろう。それも立派な欲なのだ」と。
だから、「大いに欲望と炎を燃やせ!」という。天風哲学の魅力の一つに、天風先生の言葉の歯切れのよさがあると思う。「ウン、これだ!」と納得してしまう言葉の強さを感じるのである。
ただ、どんな欲望も炎も燃やせといっているわけではない。「欲望には大別して苦しい欲望と楽しい欲望の二つがある」という。もちろん、燃やすべきは、楽しい欲望である。では、楽しい欲望とは何か?
それは、私利私欲を離れて、「人の喜びを自分の喜びとせよ!」ということである。
世の中というのは自分一人で生きられないようにできている。
だとすれば、自他非分離の価値観を学び、習得し、大いに楽しい欲望と炎を燃やし、自己形成していきたいと思う。
"考える言葉"シリーズ(24‐39)