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考える言葉

因果応報の原則

2024年11月14日

"因果応報の原則"という考え方がある。「人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ」もとは、仏教の言葉で、「因果」は、因縁(原因)と果報(報い)。ある原因のもとに生じた結果・報いの意。一般には、悪い行いに対する悪い報いのほうをいうことが多い。

例えば、現在の自分は過去の自分が創った以外の何者でもないので、もし現在の姿に過ちがあれば、先ずその原因を探し出し、それを悔い改めることが先決ということになる。

自分のなした行為に対し、責任問題が生じたとき、あれやこれやと言い訳、弁解がましいことをいっていると、「因果応報だよ・・・」と一言先輩から言われハッとさせられることがあったのを思い出す。

私たちは何か問題が生じたとき、つい責任問題、責任の追及に意識が行きがちだが、明らかに手順を間違っている。まずは、どうしてこのような事態が生じたのか、その原因を明らかにするのが先決である。その上での責任の追及だろうと考える。

だが、責任問題が矢面に立つことは、しばしばみられることだ。つい最近も、こんなことがあった。ある仕事上の手続きミスで、損失が生じたときのことだ。何とか、その損失をカバーできないかと対処方法を検討していた時のことだ。ある関係者から、こんな質問が出てきた。

「この問題の責任はどこにあるのか、誰の責任ですか?」「その損失は誰が負担するのですか?」と。 これは勿論、気になることでもあるし、ハッキリとすべきことだと思う。その責任問題をうやむやにするわけにはいかない。だが、今後の対策も踏まえて、"因果応報の原則"に基づいて、その原因を記憶が確かなうちに明確にすることが先決ではないかと思う。

問題が起こったとき、この"因果応報の原則"という言葉を知っていると、過去の失敗を単に責任問題として捉えるのではなく、未来への判断・行動の礎として活用できるのではないだろうか。

「失敗(過去)は変えられない」が、「失敗(過去)は未来に活かすことができる」のだ。

そのためにも、"因果応報の原則"は仏教思想の根本をなすものであるが、楽しい、健全な人生を送るためにも原則として心がけておきたいと思う。

                                               "考える言葉"シリーズ(24‐40)

 

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